2013年2月28日木曜日

the Help

今年のオカデミー賞に選ばれたのは、「the Help」。



この映画が公開されたのはもう1年以上も前でしたが、今も印象に残る映画だったの

で、賞に輝きました。舞台になった、1960年代のアメリカのミシシッピ州で、黒人に対

する悪質な差別と法律があったのは事実。そして今も差別が続いているのも事実。

けれど、映画の中にあったような1人の白人女性が周囲の目を恐れずに黒人女性

達の中に入り、彼らの言葉や悲しみにともに涙し、この悪循環な社会を変えるために

差別の暴露本を出したのは、事実かどうか誰もわからない。でも私はこうした人種に

関係なく、人々が心を開きあったことは本当にあったと信じたい。

ブラックヒストリーに関連して、友人のキャサリンが見せてくれた本がある。


「Underground Railroad Story」というタイトルのその本に描かれていたのは、アメリ

カで深刻な奴隷制度があったときに、多くの黒人達があるサインを手がかりに、

隠れながら逃亡し、最終的に250mile先のカナダにたどり着いたという話。

一体どんなサインを使って、彼らが見つからずにカナダまで逃げられたのか。それ

は、玄関のドアに飾ってあったquiltの模様。ある模様は行き先を示す矢印となった

り、安全な隠れ家であるという歓迎を表す言葉となったりと、規律的に並べられた

quitのドア掛けは黒人達と奴隷制度に矛盾を抱く人達の間で通じ合った暗号。


 
その時代には決して表にはでなかったと思うが、彼らの長いRailroadを作ったのは

きっと大勢の勇気ある人たちだと思う。最終的に100,000人もの黒人がカナダに

たどり着き、奴隷制度の支配から脱して新たに生活を始めることができたそう。

この2つのストーリーは、私にとって未来に向かって進む力強い追い風のように

元気とユーモアをわけてくれる。


話は現代に戻りますが、girlがメールで連絡を取り合っている高校時代の社会科の

先生が参加している原発廃止の活動について、先生の文書をそのまま引用して、

皆さんに伝えたいと思います。

3・11」からまもなく2年、これまでも全国で原発ノーの行動が継続して行

われていますが、節目の日に合わせ、大きな行動を富山でも開きます。隣の

石川県にある北陸電力・志賀原発の地下には活断層の存在が専門家から指摘

されています。いま原発から利益を得ている人たちの巻き返しが強まり、再

稼働をねらっている状況のもとで、意義あるものと考えています。

先日16日に、志賀原発まで行き、紫外線で溶ける環境対応の風船約200個を

ッセージをつけて飛ばしました。そうしましたら、予想外に、長野・秩

父・千葉で発見の連絡がありました。当時、北西の風が強く吹いていたの

で、アルプスを越えて、南東の方向に遠方まで飛んだことになります。つま

り、ひとたび事故があれば、富山県だけでなく、大きい影響があることを証

明した形です。



富山のみなさんはもう耳にしているかもしれませんが、先生が言っている「大きな

活動」は、3月9日(土)午前10時半よりボルファート富山にて、原発をテーマにした

講演会が行われます。どうかこの機会を使って、少しでも良い未来に向かって

前進してほしいと思います。


We need your help.


2013年2月11日月曜日

February 10th (Sunday) rough life

先週、親方のArboristの試験がありましたが、結果はfailedでした。

残念。72点の合格点まであと2点あれば、合格できたのですが、初めての

英語の試験に挑戦したことは親方にとって自信をつけさせてくれたようでした。

今は、試験前よりもリラックスして、効率的に復習しているように見えます。



そんな勉強の息抜きにindoor climbingに行ってきました。去年の10月にKamloops

まで遠征したマーティンと一緒に、彼のお気に入りのジムに3人で行ってきました。

親方は今回で3回目のクライミング。全くの初心者のgirlは初級コースから挑戦しまし

たが、2mの高さにも足が震えてしまい、降りるほうが勇気がいりました。それでも

床は衝撃を吸収してくれるふかふかのマットなので、落ちても安全です。


親方とマーティンは友人のドロシーという男性と彼の友人達とhigh wallに挑戦。

手足の長い人用なのか!?と思うくらい掴むところがあまりないそのコースを

ドロシーが最初にクリア。そして親方もそのコースに初めての挑戦。すいすい登って

いくが、頂上手前で戦略が混乱し、宙吊り状態になったりもしたが、最後は度胸と全

身の筋力を使って見事、クリアしました。


ドロシーやマーティンから暖かい言葉やHi fiveをもらい、表情がふっきれて満面の

笑顔の親方。親方の感想は「クライミングはリズムだ。体が使いやすいタイミングに

合わせていけば、上に進める」とのこと。



ジムにはたくさんの女性クライマー達が、親方達が挑戦したようなhigh wallを登って

いました。彼女達のそんな度胸になんだか励まされる気持ちがしました。まだ会った

ことはないが、マーティンのgirl friendも華奢な体にも関わらず、物怖じせずになんで

も挑戦するそう。そんな彼女は今、韓国旅行を終えて、タイに飛んだそう。マーティン

は、どこでもふらっと行く彼女に皮肉をこめて「rough life(波立つ生活)」と冗談を言っ

ていた。これが私たちの生活の場合は冗談には聞こえない…。

けれど親方やドロシーたちが見せてくれたクライミングのリズムのように自分の体と

心に合わせて進んでいければ、きっとでこぼこ道の人生の中に楽しみも見つかるで

しょう。

親方の再試験は今月末。

Rough & Toughで頑張っていきましょう。


2013年2月3日日曜日

February 1st ( Saturday) The black history month

 
 
毎年2月は「Black history」について考える運動が北米中で行われている。
 
Edmontonでもその歴史を勉強するイベントが様々なところで催されているので、
 
私達も参加してきました。今から100年以上前まで、黒人が奴隷としてアフリカから
 
アメリカ大陸に連れてこられてきた歴史があった。それより前には数百年に渡って
 
長く、深刻な奴隷制度が続いていた。奴隷制度が廃止された100年前から現在まで
 
私達が住む世界はどのように変わったのか?肌の色や生まれた場所に関係なく、
 
人々の間に平穏や思いやりがあるのか?というのが、最大のテーマであった
 
「MAAFA」というアフリカを背景にもつ方達の団体のイベントに参加してきました。
 
 
何といってもリズムがとても心地いい。イベントの半分はアフリカの民謡やスチール
 
ドラム、ダンス、ゴスペルの合唱もあり、無意識に身体が踊りだし、観客全員が彼ら
 
の空気に引き込まれていた。私はkokopelliというアフリカの民謡を歌う合唱団が
 
踊りながら歌っているのを見ていると、まるでアフリカの大草原の上で槍をもって
 
狩りに出かけに行くようなイメージが思い浮び、心がワクワクと熱くなった。
 
 
このイベントを教えてくれたトニーも音楽やダンスを楽しんでいた。黒人のトニーは、
 
イギリスで生まれて、ジャマイカで育ち、現在はカナダに暮らしているという多様な人
 
生を歩んできた人。私達が参加しているドラマクラブが縁でトニーと知り合ったが、
 
彼はいつも独特な陽気な雰囲気で誰に対しても笑顔で気さくに話している。そんな
 
トニーが去年の2月にブラックヒストリーについてメンバーに話をしてくれた。
 
彼の祖先がアフリカからアメリカに連れてこられたことや、トニーが子供の頃に聞い
 
た「何人もの奴隷として捕まった子供たちが真っ暗闇の夜中に星の光を手がかりに
 
して必死に逃亡した」という話を私たちに教えてくれた。全員が逃げられたわけでは
 
なく、途中で捕まった子や亡くなってしまった子もいた。とても悲しいが、トニーが私達
 
にその実際にあった話をしてくれたことは、私にとってブラックヒストリーをもっと知り
 
たいという興味を沸き起こさせてくれた。
 
 
イベントの話に戻りますが、大学教授のリサーチによると、人種による偏見や人々の
 
意識の壁は今も深刻な問題で、精神的な恐怖や自信の喪失に悩まされている黒人
 
が多いという。移民の国のカナダでも、理由もなく仕事を失う黒人が少なくないという
 
事実があるそう。そうなると仕事を選ぶ機会も狭くなり、地位の格差が生まれ、結果
 
的に現代の社会においても奴隷制度と変わらないという問題が今も続いている。
 
きっとこんな社会を変える1番大きなきっかけは一人ひとりの心の中にあるのだと思
 
います。イベントの最後に話をしてくれたアフリカン教会の牧師さんの言葉はとても
 
力強かった。
 
 
「私達人類は歴史の中で3つの階段を登ってきた。1段目は、社会を変えるために
 
立ち上がり、みんなで歩き出したこと、2段目は歴史の間違いを認め、二度と繰り返
 
えさないように習い始めたこと、そして3段目は今私たちの上に存在する目に見えな
 
いガラスの天井をやぶり、真の自由と平穏の社会を得ること。皆が3段目まで登れる
 
と信じることが、私たちに力と勇気をくれ、実現することができる」。
 
 
 
シンプルで解りやすい説明に、立ち上がる勇気をもらえた気がします。
 
「 This little light of mine, I 'm gonna let it shine 」
 
最後に全員で合唱したゴスペルソング。今でも頭の中で流れて口ずさんでいます。
 
 
 
このきっかけをくれたトニーに心から感謝です。