2013年4月2日火曜日

April 1st (Monday) moving on


Easter(キリストの復活を記念する日)の週末はFridayから翌週のMondayまで祭日

でお休み。親方とgirlはEasterをお祝いする習慣はないが、友人のキャサリンの家に

夕食を招待していただき、CanadaのEasterを代表する伝統料理を皆で味わいました。

オーブンで豚肉の塊をじっくりと焼いて仕上がったハム、グラタン風に調理されたス

カラップポテト、にんじんとグリーンピースで彩りよく飾りつけされたサラダ。デザート

にキャサリンの手作りレモンパイをいただき、これまた絶品。キャサリンとはシニアセ

ンターでいつも会話をしているが、こうしてキャサリンの家族や友人とゆっくりご飯を

食べる機会が持てたことに感謝です。


そんな週末の合間に親方とgirlは1ヶ月に渡る引越しの準備の佳境を迎えていた。

現在、日本で英語を教えているCanadianの家主がついにこの春に私たちが今住ん

でいる家に帰って来る知らせが届いたのは、つい2ヶ月前。その後、すぐに平塚ヤス

さんのご自宅の一部をお借りすることが決まり、慌てることなく荷造りや掃除をちょこ

ちょこと進めることができました。ヤスさんのご好意に本当に助かりました。

隣のジョーとヤスさんが交代で私たちの荷物を車で運んでくれ、家の中は私達がは

じめて来たときと同じようにすっかり空っぽになりました。驚いたのは、荷物の量!

私達が今の家に来たときはバックパック一つと自転車だけでしたが、今はgirlの手芸

用品、頂いたsewing machine、シニア達から頂いた洋服、かき集めた英語の本と勉

強道具などなど全く収拾がつかない膨大な量になっていました。good byeするには、

まだ諦めがつかなかったので、わがままを言って全部持っていくことができました

が、どうしても変えられないのが、neighbourと離れてしまうこと。


とくに隣のジョーとジョン夫妻にはCanadaに来てからずっと本当にお世話になりまし

た。今も前からも困ったことがあったら、真っ先に隣のジョーとジョンの家に駆け込ん

で、相談していました。時々きびしいですが、内面はやさしい2人とのやり取りの繰り

返しのお陰で私達はCanadaで生活していく勇気をもらいました。そして彼らが私達に

他のneighbourの皆さんを紹介してくれたことは、私達の生活を大きく広げてくれまし

た。native Indianのレニー、セルビア出身のミランコヴィッチ夫妻とその隣のダニエル

と愛犬。旅行好きのスコットランド人のゲイル。一緒に食事や料理をする機会はあり

ませんでしたが、彼らとの日々の会話や時々コーヒーに呼んでくれた思い出は、girl

が育った故郷とよく似ています。

そんなジョーとジョンの昔からの長い付き合いのneighbour達の輪の中で生活できた

ことは本当に幸せでした。

名残り惜しいですが、この辺で前に向かって歩いていこうと思います。またこれから

も彼らに会いに行くと思います。なんてたって自転車で15分。

これから始まる平塚家での生活と新たな出会いにsmile!


2013年3月26日火曜日

March 24th (Sunday) Spring!


つい1週間前まで暖かかったのに、突然雪が降った。10cm、20cm…と外が真っ白

に覆われていく。もちろん、親方とgirlは外に出て、近所の除雪を行うが1時間もしな

いうちにまた振り出しの状態に戻る。風が強くなってきて、吹雪になる。

隣のジョンが「That's white out」とsnow stormが起こって視界が真っ白になる状態の

ことを説明してくれた。気温もマイナス20度。こんな日は家の中で温まっていたい。

Edmontonの高速道路でも玉突きの衝突事故が起きて道路が滞った。そして、

また隣のジョンが「Because of black ice」と気温が急激に降下することによって路上

の雪解け水が先に凍り、その上に雪が降り積もることで見た目に路面の状況が確認

しづらいという状態のこと。カナダで2回目の冬を越える私にとっては、新鮮な言葉で

あるが、ジョンにとってはもう何十年も繰り返してきた言葉なんだろう。

しかし、そんな雪に関わらず、マラソンに出かけた人がいた。メリーだ。

メリーは親方とgirlが手伝っているシニアセンターのボランティアリーダーで、先祖

代々からのカナダ生まれのCanadianだ。シニアセンターの中では、メリーは誰に

対してもフレンドリーで、なおかつ気配りもあり、すごく好感の持てる印象の持ち主。

そんなメリーが休日にはマラソンとcookingをして過ごしていると出会った頃から聞い

ていたが、去年のEdmontonマラソンで自己ベストを更新してからさらにメリーからマ

ラソンの話題が加速した気がする。

「運動が好き。マラソン、ヨガ、ウエイトトレーニング、時々ズンバ(カリビアン風のエア

ロビックス)」と楽しそうに話すメリーを見ながら、「私もメリーのようにアクティブな人

間になりたい」と遠くから憧れていた。



今年の冬にgirlがSeasonal affective disorderとhome sickにかかってからシニアセンタ

ーのボランティアに行くことが億劫になってしまい、しばらくホリデーをもらった。メリー

も親方を通して、私の状態を心配してくれていた。そんなある日、メリーが「インディア

ンカレーを一緒に作ろう」と誘ってくれた。戸惑いながらも日曜のお昼にメリーの家

に訪問した。その日も朝から16km走ってきたというメリーは疲れも見えず、さわやか

だった。girlもさっそく気合を入れて準備に取り掛かろうとしたら、なんとメリーは前日

に材料をすべて買い揃え、チキンをオーブンで丸焼きにして、身をそぎ落とし、パック

していた。それ以外にもほとんどの材料はメリーが仕込みをしてくれていたので、私

に与えられた仕事は味見だった。

「just relax!」とメリーが作ってくれたカフェオレを飲みながら、横から見学する。よく見

るとメリーの作業は手間を惜しまないというか、レシピの中の工程にひと工夫を加え

ている。たとえば、レシピには粉状になった調味料を使うと書いてあるが、メリーは粉

に加工される前の種の状態のものを買ってきて、フライパンで軽くトーストしてから、

グラインダーで粉に挽いている。「こっちのほうが香りがいい」と話すメリーは丸焼き

にしたチキンの骨も香り付けに再利用していた。骨でスープのダシをとってから、トマ

トやバターを加えてカレーのベースを作る。「時々骨をとり除くのを忘れて、家族から

苦情を言われるが、こっちの方が絶対おいしい」と自分のやり方で突き進むメリー。

いよいよ味見の仕事がきて、一口食べる。少し辛いが調味料から作った自家製バタ

ーチキンカレーは風味があって美味しかった。しかしgirlの頭の英単語の中には、

「spicy」としか出てこず、微妙な味を表現するのはまだまだ経験が必要だった。そん

な頼りない味見係りの横でメリーも一口食べて、「spicy」と眉をよせて何を足せばい

いのか解らない状態だった。
 


カレーがひと段落してから、メリーがマラソンについて話してくれた。マラソンを始め

たきっかけは、5年前に遡る。当時、メリーも今の私のように突然にSeasonal affective

disorderの症状が現れ、何をするにも億劫で寂しかったと話す。そんな中から自分の

状況を変えなければと思い、スポーツクラブでランニングを始めた。はじめはゆっくり

のペースで少しずつ距離をのばし、1年目で5kmが楽に走れるようになったそう。

10kmに挑戦した矢先に膝を怪我して、一時は走ることにストップがかかったが、見事

に回復して同じ場所に戻ってきた。今では21kmのハーフマラソンのレースにも参加

している。

「自分がどんどん走れるようになっていくのは、うれしいが、何よりも一緒に走ってく

れるチームがいることが自分を支えてくれる」。メリーにとって走り続けることは、

メリーがほしかった自分の居場所を守っていくことなのかな。

「20歳で上の娘(リビー)を身ごもって、23歳で下の娘(アシュリー)が生まれた。それ

から自分の時間はなかったし、家族を何よりも1番に優先にしなければならなかっ

た。夕方に夫と交代してパートタイムの仕事に出かけたが、日中はほとんど家にい

て、誰とも会わなかった」とこれまでの生活を話してくれるメリー。

「今のシニアセンターの仕事は楽しい。シニア達からcookingを習えるし、ボランティア

のみんな(私たちも含めて)からいろいろなことを学べる。そしてあと3年で上の娘が

20歳になるなんて、信じられない」。

メリー37歳。彼女がこれまで話してくれた人生の中で、素敵な人たちに出会えたこと

はgirlにとってもこれからのカナダの生活に対する暖かい励ましに聞こえました。

私もいつかメリーにならんで走れるように、前向きに走っていこうと思います。


Edmontonももうすぐ春です。






2013年3月16日土曜日

March 15th (Friday) The Spring is coming soon

前回に引き続き、seasonal affective disorder(季節性情動障害)の影響を受けている

girlは、wild salmon fish oilのサプリメントのお陰で少しずつ元気を取り戻している。

3月10日にdaylight saving(サマータイム)が始まってから日が沈むのが夕方7時半

までと急に長くなった。外の雪も日に日に溶けていくのを見ていると、春がもうすぐ

来るのだと心が軽くなっていった。が、


昨日から今朝にかけて10cmを超える大雪と気温の急降下。どかーんとgirlの肩に

重いものがのしかかる。そして、無意識に不安と不満がこぼれ、自分でも情けないく

らい落ち込む。なんだか、同じサイクルを繰り返しているようですが、前向きに進むた

めには、まずはこの障害の特徴について知ることから始めました。私たちの情報源

は、internetと友人からの体験談。中でもキャサリンの意見はとても興味深かった。

彼女が気分が落ち込みやすくなるきっかけ(trigger)に、砂糖がある。ケーキや甘い

ものを急にたくさん食べた後、体内の血糖値を下げるホルモン(インシュリン)が分泌

し、血糖値を正常に保つ仕組みがある。けれど、seasonal affective disorderの影響を

受けている間、インシュリンと真逆の作用をもつホルモン(アドレナリン)の分泌自体

が正常以下に少ないので、精神の活動力が常に低い状態にある。そのような状態

の中で、糖分を過剰に摂取した後にインシュリンが優位に働いてしまうと、さらに

活動性が低下し、無気力で不安定になる危険性が非常に高い。

キャサリンもこのtriggerを知ってから食事と間食の量に気をつけているそう。


さて話は変わりますが、根気強く降り続ける雪にさすがの親方も少しがっかり。

あぁ春よ、早く来い。余裕があれば日本かどこか暖かいところに行けるのに…。

日本、ハワイ、メキシコ、ニュージーランド....。

「よし、行こう!」と立ち上がった親方。

さっそく地図を開く親方の横でgirlはせっせと弁当を作る。

そんな私たちが向かった先は、

ムタート植物園(Muttart conservatory)。


去年の4月から約1年ぶりに訪問したその植物園の中には、熱帯、乾燥地帯、湿地

帯と3つの気温に分けられた空間があり、世界中から集められた植物が栽培されて

いる。

 
暖かい室内の中、ハワイから来たやしの木やバナナツリー、メキシコのサボテン、

そして日本の椿や紅葉がエドモントンの寒さを忘れさせてくれる。

期間限定のオランダのチューリップ達もきれいに咲いていました。


ガラス越しに入ってくる太陽の光を浴びて、植物に囲まれながら座っていると、気分

がほっとします。植物園に来る大抵の方たちは表情が柔らかくてリラックスしている

雰囲気があり、それがさらに心地良く感じます。日帰りで世界旅行ができるムタート

植物園に感謝です。


まだまだ肌寒さを感じる季節、皆さんもどうか体に気をつけてください。


最後に、今年1番の桜が咲きました。先日、親方がArboristの試験に合格しました!!

これまで応援してくださった皆さん、本当にありがとうございました。

Conguratulations!!



2013年3月10日日曜日

My new help!


3月に入り、日照時間が少しずつ伸びてきて心がほっとします。

ようやく長い冬が終わる!

けれど、最近すこし心配なことが…。

ここ数週間にかけて朝に頭痛と吐き気がしてベッドから起きるのがつらい。

morning sick?! 

のような響きですが、実は別の理由でSeasonal affective disorder(SAD)の

可能性のほうが大きいです。日本語で「季節性情動障害」。この障害の特徴は、

季節の変化(主な要因は太陽の光の量)に左右されて、気分が落ち込みやすくなっ

たり、体調を崩しやすくなる傾向があるそう。

太陽の光を浴びると気持ちが明るくなるというのがありますが、太陽の光は、

情動に作用する脳内の神経伝達物質の働きに必要なビタミンや栄養素を作る大き

な力がある。これらのビタミンや栄養素が不足すると、不安を抑える神経伝達物質

(セロトニン)の量が減少し、些細なことに対しても情動のコントロールができず、

落ち込んだり、イライラしやすくなったりする。


まとめると、これらはすべて目には見えないが、太陽の光の量の減少とともに脳の

中の栄養が不足するためにおこる脳の機能障害ということ。

そしてEdmontonも含めてカナダ北部では、このseasonal affective disorderが日常の

ように本当に多いそう。確かに冬の日照時間は短い。冬至の前後では朝9時に夜が

あけて、夕方4時にはもう真っ暗になる。そして寒い。なんだか住むのが大変そうで

すが、girlがこの障害の傾向がでてきてからたくさんの人たちにその対処法を教えて

もらうことができた。



周りに相談し始めてから、友人のキャサリンやシニアセンターでボランティアをしてい

る人達の多くがこの症状を体験したことがあると知った。そして皆が日照時間が少な

いせいで起こる脳の障害だとその原因を理解していた。対処方法には、不足しがち

な栄養素をサプリメント(マルチビタミン、オメガ-3など)から取る、紫外線と同様の効

果のあるライトを照射する、体を動かして気分転換する、余裕があれば暖かい場所

へ旅行に出かけるなど。

 しかし中には、これだけ一般的な障害であるにも関わらず人には言えない場合も

ある。親方が相談したCanadianの男性は、20歳のときにはじめてこの障害が現れ、

それからずっと冬になると気分が落ち込み、人に会うのが辛くなるそう。原因を知っ

てから、サプリメントと運動を中心に積極的に症状を回避してきたが、はじめのころ

は周りに自分の状況を伝えることに抵抗があったそう。「この障害を持っているという

だけで、自分が弱い人間と思われるのがこわい」。けれど、周りにも同じ症状で悩ん

でいるという人達を知ったことで、自分は一人ではない。むしろ誰かと気持ちをshare

することで、この症状と付き合っていく意欲をもらえると話す。彼が表現したように

一般的な障害であるが、表面には見えないため、助けを求めることが簡単ではない

し、もしかすると私達の周りの一人ひとりの背景にも同じ悩みや原因があるのではな

いかと感じた。

girlが話を聞いたCanadian女性の1人は、この季節限定のうつ症状の時期は、心が

繊細になるので、文章を書いたり、絵を描いたりとcreativity(創造力)がさらに研ぎ澄

まされ、作品作りにのめり込めるという前向きな感想もあった。

「なるほど!」と思わず膝を叩いて、girlもさっそくサプリメントを買って飲み始めまし

た。オメガ-3入りの「wild salmon fish oil」は気分の安静の他、血流の改善、肌のトラ

ブルにも効くそう。



さて、親方にはseasonal affective disorderの症状がないのですが、どうして影響を

受けていないのかと聞いたところ、

「鮭の缶詰」。

girlはちょっと苦手で食べるのをやめてしまったが、親方は1年の半分以上の朝食

と昼食に鮭の缶詰を喜んで食べていた。まるでカナダ北部のイヌイットの皆さんが鮭

やアザラシなどの魚肉を積極的に食べているように、親方は知らないうちにオメガ-3

を缶詰から補っていた。それだけではないですが、Arboristの試験やindoor-climbing

といった新しい目標を持ったことが気持ちを支えていたのかもしれません。


今回、たくさんの方達にseasonal affective disorderについて話を聞けて本当に

感謝です。すこしずつですが、girlも気持ちが落ち着いてきました。春が来るまで

あと少し! fish oilのhelpを借りてカナダの冬を乗り切っていこうと思います。











2013年2月28日木曜日

the Help

今年のオカデミー賞に選ばれたのは、「the Help」。



この映画が公開されたのはもう1年以上も前でしたが、今も印象に残る映画だったの

で、賞に輝きました。舞台になった、1960年代のアメリカのミシシッピ州で、黒人に対

する悪質な差別と法律があったのは事実。そして今も差別が続いているのも事実。

けれど、映画の中にあったような1人の白人女性が周囲の目を恐れずに黒人女性

達の中に入り、彼らの言葉や悲しみにともに涙し、この悪循環な社会を変えるために

差別の暴露本を出したのは、事実かどうか誰もわからない。でも私はこうした人種に

関係なく、人々が心を開きあったことは本当にあったと信じたい。

ブラックヒストリーに関連して、友人のキャサリンが見せてくれた本がある。


「Underground Railroad Story」というタイトルのその本に描かれていたのは、アメリ

カで深刻な奴隷制度があったときに、多くの黒人達があるサインを手がかりに、

隠れながら逃亡し、最終的に250mile先のカナダにたどり着いたという話。

一体どんなサインを使って、彼らが見つからずにカナダまで逃げられたのか。それ

は、玄関のドアに飾ってあったquiltの模様。ある模様は行き先を示す矢印となった

り、安全な隠れ家であるという歓迎を表す言葉となったりと、規律的に並べられた

quitのドア掛けは黒人達と奴隷制度に矛盾を抱く人達の間で通じ合った暗号。


 
その時代には決して表にはでなかったと思うが、彼らの長いRailroadを作ったのは

きっと大勢の勇気ある人たちだと思う。最終的に100,000人もの黒人がカナダに

たどり着き、奴隷制度の支配から脱して新たに生活を始めることができたそう。

この2つのストーリーは、私にとって未来に向かって進む力強い追い風のように

元気とユーモアをわけてくれる。


話は現代に戻りますが、girlがメールで連絡を取り合っている高校時代の社会科の

先生が参加している原発廃止の活動について、先生の文書をそのまま引用して、

皆さんに伝えたいと思います。

3・11」からまもなく2年、これまでも全国で原発ノーの行動が継続して行

われていますが、節目の日に合わせ、大きな行動を富山でも開きます。隣の

石川県にある北陸電力・志賀原発の地下には活断層の存在が専門家から指摘

されています。いま原発から利益を得ている人たちの巻き返しが強まり、再

稼働をねらっている状況のもとで、意義あるものと考えています。

先日16日に、志賀原発まで行き、紫外線で溶ける環境対応の風船約200個を

ッセージをつけて飛ばしました。そうしましたら、予想外に、長野・秩

父・千葉で発見の連絡がありました。当時、北西の風が強く吹いていたの

で、アルプスを越えて、南東の方向に遠方まで飛んだことになります。つま

り、ひとたび事故があれば、富山県だけでなく、大きい影響があることを証

明した形です。



富山のみなさんはもう耳にしているかもしれませんが、先生が言っている「大きな

活動」は、3月9日(土)午前10時半よりボルファート富山にて、原発をテーマにした

講演会が行われます。どうかこの機会を使って、少しでも良い未来に向かって

前進してほしいと思います。


We need your help.


2013年2月11日月曜日

February 10th (Sunday) rough life

先週、親方のArboristの試験がありましたが、結果はfailedでした。

残念。72点の合格点まであと2点あれば、合格できたのですが、初めての

英語の試験に挑戦したことは親方にとって自信をつけさせてくれたようでした。

今は、試験前よりもリラックスして、効率的に復習しているように見えます。



そんな勉強の息抜きにindoor climbingに行ってきました。去年の10月にKamloops

まで遠征したマーティンと一緒に、彼のお気に入りのジムに3人で行ってきました。

親方は今回で3回目のクライミング。全くの初心者のgirlは初級コースから挑戦しまし

たが、2mの高さにも足が震えてしまい、降りるほうが勇気がいりました。それでも

床は衝撃を吸収してくれるふかふかのマットなので、落ちても安全です。


親方とマーティンは友人のドロシーという男性と彼の友人達とhigh wallに挑戦。

手足の長い人用なのか!?と思うくらい掴むところがあまりないそのコースを

ドロシーが最初にクリア。そして親方もそのコースに初めての挑戦。すいすい登って

いくが、頂上手前で戦略が混乱し、宙吊り状態になったりもしたが、最後は度胸と全

身の筋力を使って見事、クリアしました。


ドロシーやマーティンから暖かい言葉やHi fiveをもらい、表情がふっきれて満面の

笑顔の親方。親方の感想は「クライミングはリズムだ。体が使いやすいタイミングに

合わせていけば、上に進める」とのこと。



ジムにはたくさんの女性クライマー達が、親方達が挑戦したようなhigh wallを登って

いました。彼女達のそんな度胸になんだか励まされる気持ちがしました。まだ会った

ことはないが、マーティンのgirl friendも華奢な体にも関わらず、物怖じせずになんで

も挑戦するそう。そんな彼女は今、韓国旅行を終えて、タイに飛んだそう。マーティン

は、どこでもふらっと行く彼女に皮肉をこめて「rough life(波立つ生活)」と冗談を言っ

ていた。これが私たちの生活の場合は冗談には聞こえない…。

けれど親方やドロシーたちが見せてくれたクライミングのリズムのように自分の体と

心に合わせて進んでいければ、きっとでこぼこ道の人生の中に楽しみも見つかるで

しょう。

親方の再試験は今月末。

Rough & Toughで頑張っていきましょう。


2013年2月3日日曜日

February 1st ( Saturday) The black history month

 
 
毎年2月は「Black history」について考える運動が北米中で行われている。
 
Edmontonでもその歴史を勉強するイベントが様々なところで催されているので、
 
私達も参加してきました。今から100年以上前まで、黒人が奴隷としてアフリカから
 
アメリカ大陸に連れてこられてきた歴史があった。それより前には数百年に渡って
 
長く、深刻な奴隷制度が続いていた。奴隷制度が廃止された100年前から現在まで
 
私達が住む世界はどのように変わったのか?肌の色や生まれた場所に関係なく、
 
人々の間に平穏や思いやりがあるのか?というのが、最大のテーマであった
 
「MAAFA」というアフリカを背景にもつ方達の団体のイベントに参加してきました。
 
 
何といってもリズムがとても心地いい。イベントの半分はアフリカの民謡やスチール
 
ドラム、ダンス、ゴスペルの合唱もあり、無意識に身体が踊りだし、観客全員が彼ら
 
の空気に引き込まれていた。私はkokopelliというアフリカの民謡を歌う合唱団が
 
踊りながら歌っているのを見ていると、まるでアフリカの大草原の上で槍をもって
 
狩りに出かけに行くようなイメージが思い浮び、心がワクワクと熱くなった。
 
 
このイベントを教えてくれたトニーも音楽やダンスを楽しんでいた。黒人のトニーは、
 
イギリスで生まれて、ジャマイカで育ち、現在はカナダに暮らしているという多様な人
 
生を歩んできた人。私達が参加しているドラマクラブが縁でトニーと知り合ったが、
 
彼はいつも独特な陽気な雰囲気で誰に対しても笑顔で気さくに話している。そんな
 
トニーが去年の2月にブラックヒストリーについてメンバーに話をしてくれた。
 
彼の祖先がアフリカからアメリカに連れてこられたことや、トニーが子供の頃に聞い
 
た「何人もの奴隷として捕まった子供たちが真っ暗闇の夜中に星の光を手がかりに
 
して必死に逃亡した」という話を私たちに教えてくれた。全員が逃げられたわけでは
 
なく、途中で捕まった子や亡くなってしまった子もいた。とても悲しいが、トニーが私達
 
にその実際にあった話をしてくれたことは、私にとってブラックヒストリーをもっと知り
 
たいという興味を沸き起こさせてくれた。
 
 
イベントの話に戻りますが、大学教授のリサーチによると、人種による偏見や人々の
 
意識の壁は今も深刻な問題で、精神的な恐怖や自信の喪失に悩まされている黒人
 
が多いという。移民の国のカナダでも、理由もなく仕事を失う黒人が少なくないという
 
事実があるそう。そうなると仕事を選ぶ機会も狭くなり、地位の格差が生まれ、結果
 
的に現代の社会においても奴隷制度と変わらないという問題が今も続いている。
 
きっとこんな社会を変える1番大きなきっかけは一人ひとりの心の中にあるのだと思
 
います。イベントの最後に話をしてくれたアフリカン教会の牧師さんの言葉はとても
 
力強かった。
 
 
「私達人類は歴史の中で3つの階段を登ってきた。1段目は、社会を変えるために
 
立ち上がり、みんなで歩き出したこと、2段目は歴史の間違いを認め、二度と繰り返
 
えさないように習い始めたこと、そして3段目は今私たちの上に存在する目に見えな
 
いガラスの天井をやぶり、真の自由と平穏の社会を得ること。皆が3段目まで登れる
 
と信じることが、私たちに力と勇気をくれ、実現することができる」。
 
 
 
シンプルで解りやすい説明に、立ち上がる勇気をもらえた気がします。
 
「 This little light of mine, I 'm gonna let it shine 」
 
最後に全員で合唱したゴスペルソング。今でも頭の中で流れて口ずさんでいます。
 
 
 
このきっかけをくれたトニーに心から感謝です。
 
 
 
 


2013年1月24日木曜日

January 21st (Monday) study, study, study


Arborist(アーボリスト:樹木のspecialist) の試験にむけて勉強中の親方。

ISA(international society of Arboriculture) という団体が主催するその試験に

合格すると国際的に樹木に関わる仕事ができる、Canada的な表現で言うなれば

堂々と専門士として国境を問わずに働けるticket(資格)を持つことができる。

そんなISAは過去3年以上の期間、造園業や樹木に関わってきた人ならば、国籍に

関係なく、試験が受けられるので親方にとってはとても魅力的で、これからの可能性

を広げる良いチャンスだ。


そもそもArboristとは、具体的に何をする人たちなのか?

Girlも親方の勉強を手伝いながら、その仕事の役割を学びました。大きな特徴を挙

げるならば、視野の広さ。

ど素人のgirlが木を見ているときは、地面から上の部分だけだが、Arboristの皆さん

は地面より下に伸びている根や根を取り巻く土、そして1年後、5年後に成長して

いると思う枝や幹まで、木の全体像と将来の姿をいつも意識している。そうしながら、

樹木の個性にあわせて、適切な土壌を作り、植栽、剪定、肥料や病気の管理を

何十年もかけて行っている。

知識も重要ですが、それ以上に経験と根気よく続けていくポジティブな気持ちが

Arboristの仕事には大事だなと思います。青々とした葉をつけて、たくましく生きてい

る木を見ていると元気がもらえるような気持ちになります。Arboristの皆さんはきっと

1番近くでそんな木たちとつながっているのかもしれないです。



試験まであと2週間!!

未来のarboristの皆さん、最後までポジティブにHang on!



2013年1月15日火曜日

January 9th (Wednesday) the wood workers

 
1月からsenior centreの地下にあるwood carpentry club(木工細工)に復帰した
 
親方。冬は庭仕事が出来ないので、暖かい室内で機械を操作しながら自分の
 
好きなもの作りたい。できれば、木工の技術も身につけたい、と願っている親方
 
はかつて、庭師の道に進む直前まで大工の勉強もしていたそう。今まであまり
 
木工の技術を活かす機会はなかったが、senior centreに行ってから見事に
 
返り咲いた。
               ↑親方が廃材をリサイクルして作ったスクリーン。
 

 
じつに興味深いsenior centreの木工クラブ。設備も材料のほとんどが個人や団体か
 
らの寄付で運営されているそうで、木工クラブのメンバー全員(経験豊かなおじいち
 
ゃま)もボランティアでsenior centreの修繕を手伝ったり、バザーで売る作品を製作し
 
たり、時にはビギナーの指導をしたりと、centreの収益を潤している。centreからの視
 
点でみたら設備も労力も莫大な投資なしで、自発的に集まってくるこの不思議な出
 
会いで作られた環境は、なんて運がいいんだと思います。 きっと単なる偶然ではな
 
く、そういう風なかたちになるまでたくさんの人の協力や努力もあったにちがいないで
 
しょう。話はそれますが、物も人の経験も一度役目を終えてからも廻りめぐって新た
 
にその役目をスタートできる場所が見つけられるのだと、しみじみ思います。
 
 
 
親方とgirlが今、木工を教えてもらっているメンバーの中にアールという80代のおじち
 
ゃまがいる。彼は20歳のときにどういう状況かわからないが、電動のこぎりで木材を
 
切っていた時に左手の人差し指から小指までを誤って切断してしまった。「その頃は
 
妻も私もまだ若くて、これから将来があるときだったのに、とても悲しかった」と振り返
 
るアール。その後、彼は電力関係の研究所の仕事に就き、定年まで働いた(木工と
 
はまったく関係のない内容だったそう)。現在は20歳から連れ添った奥様と8人の孫
 
とひ孫までいる大家族の大きな柱だ。
 
アールがどういうきっかけでsenior centreの木工クラブに参加したのか聞かなかった
 
が、彼はいつも周りのメンバーを気にかけながらも冗談を言って、会話を気持ちよく
 
盛り上げ、木工クラブにとって重要な存在感をもっている。彼の言葉はいつも印象的
 
だ。とくに私達がはじめて機械を使うときは、絶対に機械を操作させない、まず隣で
 
見せる、何を注意するべきか本当にわかるまでアールが何度も私たちに代わって、
 
機械を操作して見せてくれる。「機械を使うのは簡単だ。でも危険だということを忘れ
 
ないでほしい」。と左手を見せながら話すその言葉は、彼が今まで乗り越えてきた
 
苦悩や痛みを感じさせてくれる。そんなアールの言葉や行動からは同じような悲しみ
 
を二度と他の人にも起こらないように必死に守ろうとしていることが伝わってくる。
 
彼にしかできないとても意味のある役割だと思います。
 
               ↑ 木工クラブの皆さんが作った作品たち。
 
私もここまでの勇気をだせるかわかりませんが、自分が今までの経験の中で見つけ
 
てきたものを、自分にしかできない役割として誰かの支えになれたらいいなと思いま
 
す。今の親方とgirlのでこぼこ道のカナダ生活も悩みや不安もきっといい経験です。
 
 
最後に今のアールの現実的な役割と悩みは、ここ数週間、私たちの木工作業に付き
 
っきりだったため、娘達と孫達に頼まれた木製のプランター作りがまったく進めてい
 
ないこと(maybe ... or probably)。本当に申し訳ないですが、アールがいてくれたこと
 
に感謝です。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2013年1月5日土曜日

January 3rd (thursday) The world is beautiful




January 3rd 最高気温6℃。

薄着で外を歩くCanadianを見てびっくりしたが、温度計を見てさらにびっくり。

今週のEdmontonの空はとても機嫌が良く、暖かい日がつづいています。

こうして穏やかな気持ちで青空を見ていると、私たち生き物は太陽の光にたくさん

支えられているのだなと1人しみじみ感じます。

つい数日前の年末にメトロシアターで今日みたいにしみじみするような映画

「SAMSARA(サンサラ)」を見てきました。去年のアースデーに私たちがメトロ

シアターで見た「Baraka(バラカ)」という映画の第2作目。

今回も監督の力量と個性が十分に表現されていた「SAMSARA」は、一切のtalkや

解説がなく、力強い音楽と映像で世界中の風景を私たちに紹介している。girlの主観

だけでこの映画の雰囲気を表現するなら、宇宙人が地球に観光に訪れて人間の

住む社会を観察しているような視点に見えました。(実際、宇宙人の存在は出てきま

せんでしたが)。とくに世界中の日常でおきている絶えることのない矛盾。

作っては壊し、手に入れては捨てて、守っては傷つける。

自分の今の生活にも当てはまるものも出ていて、何となく虚しくなっていまいました

が、この映画の中の宇宙人の視点のように離れたところから見ると、本当に私達

の住む社会は終わりのないサーキットでぐるぐる回っているように見えます。

もしかしたら、その映画の中にはいつかこのサーキットに新しい出口が出来るのを

待っているのかもしれません。

 
話は変わりますが、girlに暴言をぶつけた女性のその後の話を聞く機会がありま
 
した。(しつこいようですみません)。
 
彼女とじっくり向き合った彼女の上司のシェリーは、彼女が過去にアフガニスタン
 
周辺で生まれ育ったときの話を聞いた。彼女は裕福の家の生まれだったが、外を
 
見れば、「不平等」の現実ばかりで、学校に行けない子供、低賃金で働く大人、
 
暴力を受ける女性たち。彼女の両親も召使に対して、暴言や乱暴な扱いをしていた
 
そうで、そんな中で生まれたときからその現実を見てきた彼女が、疑問をもつのは
 
難しいことだし、人としての常識を育むには、あまりにも環境に問題がありすぎる。
 
実際、彼女のように過酷な環境で育った方達が祖国を追われて、難民としてカナダ
 
に移民している方たちがたくさんいる。
 
彼女自身が理由なく暴言を言ったことを理解するのが難しいのは、きっとこの彼女の
 
育った背景から来ていると思うし、今もこの先も続く可能性がないとは言えない。
 
この話を聞いた後、彼女1人の犯した行為を責めるよりも、もっと深い世界の問題に
 
目を開かせてくれた気がしました。
 
 この世界の問題に新しい解決の糸口をつくるのは、一人ひとりが大切にされる
 
環境だと思います。
 
 今回も話が長くなりましたが、私の今年の目標は、マラソンと怒らないことを努力し
 
ていこうと思います。 今年もよろしくおねがいします。

 

2013年1月1日火曜日

December 29th (Saturday) My great teacthers part3


あけましておめでとうございます。

2012年はカナダ生活を延長して、最初の頃は仕事を続けることに不安はありまし

たが、新しい人達との出会いがあり、またたくさんの方達(遠くからも近くからも)励ま

して頂いたお陰で、1歩成長できたような自信をもつことができました。今はカナダに

少しでも長く住めたことに感謝しています。

親方は、Arborist(木のspecialist)の仕事への興味や意欲がさらに高まり、1月に

Arboristの国際資格の取得を目指して、勉強の日々です。Englishのテキストブック

を使っての独学は、ときどきプチンと思考が切れそうですが、それでも我慢強く続け

ています。

2012年最後の話題は、親方とgirlにとってお世話になった方達の中からキャサリンと

いう女性と私たちの1年間の物語を書きたいと思います。(長いです)。

キャサリンと出会ったのは、私たちがいつもボランティアをしているsenior centreに

あるsewing(裁縫)クラブに彼女とgirlが所属していたのがきっかけだ。60代半ばの

彼女はメンバーの中でgirlの次に若い。(最高年齢は93歳のおばあさん)。



キャサリンは第一印象のときから、優しくて、メンバーの中でとくに気さくに話しかけ

て来てくれた。1年前のクリスマスに、キャサリンが結婚した当初に夫の仕事の都合

でフランスに3年間住んでいたときの話をしてくれた。カナダ生まれのキャサリンは

フランス語はまったくしゃべれなかったが、小学校へボランティアとして手伝ったり、フ

ランス語の授業を受けにいったりと地域に参加していたそうだ。そして今から40年前

のフランスには家庭用の電話が当たり前のようになかったし、冷蔵庫もなかったそ

う。なので、彼女の1番のフランス語の練習場所は、食料品店でお買い物をするとき

だったと笑いながら、買い物の失敗談などを話してくれた。

「言葉が通じないことの不便さはよくわかる」とキャサリンは自身の体験談からgirlと

親方の海外生活の苦労を無意識に察してくれているようだった。

2012年1月

girlは思い切って彼女に以前から編んでみたかった毛糸の靴下を教えてほしいと

尋ねたらところ、彼女は快く了解してくれた。彼女が私用に書き直した手書きの

インストラクションは、シンプルで解りやすく、また彼女の説明のペースもgirlに

合っていて、とても楽しかった。月日は流れ3月が来て、念願の靴下を完成させる

ことができた。キャサリンも教えるのは初めてだったそうで、2人で作った靴下を見

て、とても喜んでくれた。その後、sewing club は初夏から初秋までの短い夏休みに

入り、キャサリンから何度か手紙で慌しく毎日を過ごしているという挨拶が届いた。



2012年9月

夏が終わり、sewing clubが再始動。キャサリンを含め、メンバーとの再会を喜んだ。

今度はキャサリンからgirlにクラフトのnew projectを提案してきた。クリスマスツリー

用のオーナンメント。見本を見て、girlはすぐに挑戦してみたくなった。しかしその時、

キャサリンは夏が終わって、家の事やボランティア活動に少し疲れていた。彼女から

「うちの息子は~が好き」と発達障害を持っている息子の話が自然とよく聞かれるよ

うになった。



2012年12月

キャサリンとのクラフトprojectは続く。途中、girlが暴言事件によりすっかりダウンした

が、メンバーのおばちゃまとキャサリンの励ましにより、立ち直ることができた。とくに

"いじめ"という出来事に敏感なキャサリンはgirlの話をじっくり聞いてくれた。彼女自

身も本来の性格は控えめで他人より自分のペースを大事にしていたが、いじめを経

験してから「自分を守るために変わらなければ」と決意したそう。


2年目のクリスマスの日、キャサリンと彼女の夫と息子と食事をしながら、彼らのこれ

までの生き方をたくさん知ることができた。キャサリンは相変わらず、いつものように

笑顔で冗談が絶えない。「フランスにいた頃は、2人の子供を世話しながらも、ずっと

孤独を感じていた。言葉がわからなかったから、自分の不安をしゃべれる人がほし

かった。(なんてたって電話がなかったし)。でもその孤独が自分の視野を広げてくれ

た。外面だけではなく、内面も見るようになった。そしてカナダにも、慣れない環境で

孤独や不安を感じている人たちの力になりたいと思った」と語る。


そして彼女の1番のgiftは「(発達障害を持って生まれた)息子。彼が私たちに忍耐や

家族で助け合うことの意味を教えてくれた。息子が私に何にでも立ち向う力をくれ

る」。キャサリンの家には、これまで彼女の作ったクラフト、友人からの贈り物、息子

のおもちゃや彼が描いた絵が飾ってあり、温かい雰囲気に包まれていた。1年を通し

て、キャサリンと一緒に作品を作れたことや、たくさんのことを学べたことに本当に感

謝です。私も自分がカナダで体験したことをいつか何かの形で役に立てたらいいな。


いつも私たちを見守ってくれている皆さん、今年もありがとうございました。

2013年も明るく歩いていきましょう。                ごもく親方&girl